レポート

2011.05.27 We received a massage from Koji Nakata from Kashima Antlers.

We visited him on a morning of May.

After watching his training, we were able to interview him.
He used to play for FC Basel in Switzerland for two years starting in 2006. That gave us a chance to receive his supporting message for the project. We would like to introduce our interview with him by detailing how he felt about the disaster’s victims and the disaster-stricken area.

―震災の時は、どちらにいましたか?

中田選手:翌日、静岡で試合があったので、バスで高速に乗っていました。ちょうど幕張辺りで地震にあい、最初は気づかなかったんです。その後、3時間ぐらいバスの中に閉じ込められ、やっと(バスが)動いたのはいいけど、高速が使えないから下の道を使って…。鹿嶋に戻るのに12時間ぐらいかかりました。

―12時間ですか!?

中田選手:普通だったら高速で1時間ぐらいの距離なんですけどね。鹿嶋周辺も地震の被害を相当受けています。道路の液状化で道がデコボコになったり、電柱が傾いたりで、幹線道路が使えなくなりました。(クラブハウスに)来るとき通ったと思いますが、(隣町の神栖にある)セントラルホテルの辺りまで津波がきて、コンテナとか流されてきたそうです。あのあたりは避難されていた方も多かったんですよ。

―確かに、こちらに来るときに、でこぼこ道だったので「何でだろう?」と思いましたが…。ラジオやTwitterで茨城も地震の被害が大きい、とは聞いていましたが、そこまでひどい状況だったとは驚きです。鹿島スタジアムも被害にあったのですよね?

中田選手:はい、スタジアムのほかにも、合宿所やクラブハウスも被災にあいました。クラブハウスは棚が倒れたりして、しばらく使える状況ではなかったんです。後で(震災)当時クラブハウスにいた人に聞いたのですが、震災直後は停電になり、断水も1週間ぐらいありました。こんな状況では練習もできないので、実は震災直後の3月15日に一旦トップチームは解散したんですよ。

―チームがそんな大変なことになっていたのは、知りませんでした。ご自身も被害に遭われ、いろいろとご苦労をされたかと思いますが、今回の震災で思ったことは?

中田選手:僕たち以上に大変な思いをされている方たちはもっとたくさんいます。だから「自分たちで出来ることはなんだろう?」というのはものすごく考えましたよ。うちのチームでも小笠原選手は岩手出身で、(小笠原選手の)ご親族も陸前高田で被災されているのです。チームでも、『With Hope』(鹿島アントラーズが中心的役割を担う茨城県復興支援プロジェクト)や、小笠原選手を中心にボランティアや物資の配送など、僕たちにできることをやっています。

―では中田選手個人では、何か活動はされていますか?

中田選手:僕自身も『何かやりたい』とは常に感じていますが、具体的に行動を起こすとなると、なかなか難しいのが現状です。震災当初は大変な時期だったから、僕らが(深刻な被害を受けた被災地に)行ったらかえって迷惑じゃないかとも考えていました。もどかしい気持ちは常にありました。だから、自分のできること、サッカーを通じて何か伝えられればと思いました。一生懸命プレーして、その姿を見てもらうことしかできないかな、と。

―被災地の方々も、地元のチームが頑張っている姿を見ていると勇気が沸くっていうご意見をたくさん聞きます。サッカーにはそういう力があるのでしょうか?

中田選手:サッカーだけではなく、スポーツ全般にそういう素晴らしい力があると思います。一生懸命頑張っている姿を、気持ちを見せていけば、(被災した方々に)何か感じてもらえるだろうし、前向きな気持ちになると思います。現に、ホームタウン(鹿嶋、潮来、神栖、行方、鉾田)が被災しているし、アントラーズサポーターも被災されている方が多いのです。だから、いつも応援してくれている恩返しとして、一試合、一試合、一生懸命やっていこうと思っています。

―今回のART-AIDの話を聞いて、どう思われましたか?

中田選手:自分も、長期的に何かできればと思っていたので、お話をいただいたときは力なれればと思いました。国内ではいろんな団体もあるし、海外でやっている(やろうとしている)方もいると思いますが、まだまだ数が少ないと思います。それに、被災地支援のボランティアは、中、長期的に支援していかないと。その都度必要なものも変わってきますからね。
最初はみんな積極的に(チャリティー活動など)やっていきますが、だんだん薄れていくといか、忘れていくというか。節電のときもそうでしたよね。今はちょっと節電の意識が薄れている感じがするのです。だから、今回の地震も津波も忘れられていくのは恐いと思います。長期的に何かやっていかなければ、と思っていましたが、自分は何ができるのか、と思ったときに一人ではなかなかできないので、今回のような機会があれば参加していけるといいですよね。

―そのお気持ちだけでも、とてもうれしいです。今日は、練習でお疲れのところ、ありがとうございました。

ご自身も、チームも、震災の被害にあわれているにも関わらず、被災地への思いを強く持つ中田選手。その真摯な気持ちを、メッセージとしていただきました。

 

開催地バーゼルについて「バーゼルの町並みはとても美しいですよ。元来、永世中立国でもあるので、いろんな民族を受け入れてくれる懐の深さが好きでした。当時は日本人会の皆さんをはじめ、多くの方々にお世話になりました。バーゼルでの2年間はすごく楽しかったですよ」と思い出を語ってくれました。
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